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「空へ」ジョン・クラカワー著 海津正彦訳 文芸春秋刊
著者は、1996年5月に、多くの死者を出したエヴェレスト登山に参加した作家で、九死に一生をえて生還した。その時散った12人の仲間に捧げる鎮魂の書である。

著者は優れた登山家ではあったが、まだエヴェレスト登攀の経験はなかった。しかし、アウトドア誌「アウトサイド」に山岳の連載などしていた関係で、編集長からエヴェレスト登攀ルポを書くように要請されて、軽い気持ちで、有名なガイドであるロブ・ホールが率いる8人の顧客の1人として遠征隊に加わったのである。

彼は条件の悪いなか頂上を極め、天候急変と酸素ボンベが空になりながらも運良く生還できたので、このような記録を出版できたのだが、実態は零下50度の強風の中での意識ももうろうとした悲惨な戦いだった。しかしそこにはエヴェレスト登攀に挑戦する登山家達の熱い思いが渦巻き、彼らが魅せられるのも無理はない神々しくも厳しい世界最高峰の姿があった。

彼のチームには登頂後遭難死した日本人の難波康子も加わっていた。彼女は田部井淳子についで2番目のエヴェレスト登頂者であり7大陸最高峰を制覇した登山家であった。

事件当時は遠い出来事のように思って記事を読んだ記憶があるけれど、今、ネパールと関わるようになってこの本を読むと、カトマンズから軽飛行機でルクラにとびナムチェバザールから始まる路程の雰囲気、ネパール人のポーターやシェルパたちの動きなどリアルにイメージ出来、手に汗を握り胸を詰まらせながら読み終えた。

そもそもエヴェレストという名前は、世界最高峰を発見したイギリス人の測量局長官だったエヴェレストさんの名前をつけたそうで、チベット人はチョモランマ(世界の母なる女神)ネパール人はサガルマータ(大空の女神)と呼んでいる。

これからは世界最高峰を、エヴェレストと呼ばずサガルマータと呼ぶことにしようと思わされた。

今年4月に、パタレバンで会ったネパールの俳人ラムさんが、その時のことをネパール語俳句にして披露してくれたことも思い出した。

彼の思いを日本語に訳して「ヤクの佇つ氷床の下には魂の炎」という句を作りました。


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「聖イグナチオ・デ・ロヨラ」16世紀の偉大な巡礼者 中川浪子著
世界最大のカトリック教育修道会であろうイエズス会の創立者イグナチオ・デ・ロヨラの伝記である。

日本ではイエズス会が運営する教育施設として上智大学・栄光学院中高・六甲学院中高・広島学院中高などが有名である。
私個人としてはそれらの学校施設やそこに所属しておられる神父様たちとの交流があり、イエズス会のカラーに馴染んではいましたが、創立者のイグナチオ・デ・ロヨラについてはよく知らなかったので読んでみたいと思った。

ラリグランス・クラブ発足の一つの要因にもなったポカラでの大木章次郎神父様、カトマンズのセントザビエル校のジェームス・ブリット神父様、私が所属する六甲教会の神父様方、日本にキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエル、それぞれイエズス会士として共通がおありのような、まったくないような、、。

新ポカラの会の代表倉光先生が長年広島学院で教鞭をとっておられたこと、夫が六甲学院卒業生であること、孫が六甲学院に入学したことなども、創立者のことをよく知りたいと思ったきっかけである。

さて読後感ですが非常に感銘を受けました。

イグナチオ・デ・ロヨラは1491年にスペイン北東バスク地方の、サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼路に近いロヨラ城の1子として生まれた。彼の生涯は、まあ、俗な言い方をすればブッダの生涯と似たところがありましょうか。

イグナチオの時代はカトリックは頽廃し、ルッターたちの宗教改革を叫ぶグループの勃発、真のカトリックに立ち返ろうというイグナチオ達(フランシスコ・ザビエルも)、他方ではコロンブスの新大陸発見、南アメリカへの宣教と言う名の侵略、レオナルド・ダビンチもその時代、その後ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂。

その頃日本は戦国時代で信長→秀吉→家康。キリシタン迫害。

私の本棚で紹介した、「クワトロラガッツイ(天正遣欧少年使節の話)」や「大聖堂」などの物語とクロスオーバーして、ロヨラの伝記ということを遥かに上回る感動をうけた書物でした。

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「不可蝕民」山際素男著 光文社
ラリグランスクラブでは、ネパールのダリット(不可蝕民)の人々の支援をしているので、ダリットのことをもっと知りたいと思って読みました。

不可蝕民(ダリット)というのは、ヒンズー教で決められている4段階のカースト(身分制度)ブラーミン(僧)、クシャトリア(戦士)、バイシャ(商人)、シュードラ(農民)にも入れない人々(肉体動労、屍体処理、排泄処理)のことを言います。

日本でも江戸時代に作られた身分制度の士農工商というのがあり、そこにも入れないエタ、非人という虐げられた人々がいましたが、同じような仕組みのようです。

現代ではインドもネパールも日本も一応憲法で人権が保証されるようになり身分制度はあってはならないことになってはいるものの、差別感を払拭されるところまではいっていないようです。

特にインドでの不可蝕民にたいする人間差別、想像を絶する理不尽な拷問、虐待、殺戮は、1970年頃まで続き、今でも連綿と続いているということです。

著者は不可蝕民の人々が置かれてきた、置かれている現状を、ダリットの村を直接訪ね話を聞いてルポに纏められました。

ダリットに対する人々の暴力のリアルな著述には、背筋に寒気が走り吐き気を覚え目をそらせてしまいました。

世界の人々から崇められているマハトマ・ガンジーさえ、ヒンズー教の信仰から自身の高位カーストから離れられず、インド憲法の中に不可蝕民制度の廃止を折り込みはしたが、現実は、ヒンズー教が温存されている以上差別はなくなっていません。

ネパールでの不可蝕民への差別がどれほど酷いものであったか酷いものであるのか私にはあまりの恐ろしさで実感出来ていないのですが、ダリットの人々への教育支援は間違いなく必要なものなので、勉強しながら続けていかなくては、、、と決意しました。

ネパールのダリットのことについて、モティ・ギミレさんが、ラリグランスホームページ( http://laligurans.com )の通信31号でレポートしていますので、併せて読んでほしいと思いました。

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kakehasi.jpg「いつも僕のなかは光 梯剛之」 角川書店
盲目の天才ピアニストと呼ばれる梯剛之さんのピアノリサイタルに行きました。
生まれて初めて耳にすると言っていい澄み切った音、流れるようにかもし出される心地よい響き。
オールショパンのすばらしいプログラムでした。
CDと彼の半生記「いつも僕のなかは光」の本を買ってかえりました。
CDを聴きながら一気に読みました。

ラリグランスのホームページにも書いていますが、今視覚障害者の方たちのことを深く知りたいと思い続けていますので、どんどん心に響き、いろんな知らなかったことに目が開かされました。
そう、この目が開いたというのは、心の目というか、脳内にある目というか、つまり盲目の方が見ておられる目と同じ目なのです。

私の中には、盲目の方は暗闇の世界の中で懸命に生きておられるという先入観がありましたが、確かに目が見えるものにとっては見えないということは真っ暗闇と思うのですが、それはどうも違うことが分かりました。
盲目の方は、私たちの見える世界を超えた情景の中でいろんなことを見ながら生活しておられるのです。
その情景の中には光や影があり、風でそよぐ柳の木や樫の木があり、可愛い動物や虫や蝶が舞っているのです。
盲目の方を不憫に思うのは間違っていました。この世では少数派ですからご苦労も多いのですが素晴らしい世界を持っておられることが分かりました。自然界の美しさを一緒に共有出来るんだ、共有したいと思いました。

ピアニストは、まず楽譜を見て弾くことから始まりますが、その読み取り方法が見える人と見えない人とで違うだけです。旋律がわかった後のテクニックは、見える人と見えない人とでは違いがないのです。
梯さんは、ピアニストとして大変な努力をされますが、それはピアニストを目指す人はみな同じとも言えます。
目が見える人は、つい楽譜に頼ったり鍵盤を見て弾きますが、それでは優れたピアニストにはなれないでしょう。

盲目の方と見える人は同じ人間です。恥ずかしいことにそんな分かりきったことがこの本を読むまで自分は理解していなかったと認めなくてはなりません。それは私だけではなく多くの人がその過ちをしていると思います。だから梯少年は無理解な人々に出会って多くの苦労もされています。でもそれ以上の多くの理解ある人々に支えられ癌と闘いながらも、美しい音楽を求めまっすぐに歩み続ける梯剛之さん。

この本を梯さんを応援するためだけでなく全ての視覚障害者の方たちのためにも読んでほしいと思います。

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「ネパールの山よ緑になれ」安倍泰夫著
安倍さんは山家でありお医者様である。

彼がネパールの支援活動にのめりこむことになったきっかけは、1974年の12月、ランタンヒマール山嶺からの下り道で出会った貧しい身なりの少女であった。
運命的な出会いと感じた彼は少女を養女に迎えることを決めた。
そのことから彼のネパールへの援助活動が始まる。

この本は、
「ネパールでは森林が伐採され、土砂崩れ、水源の枯渇が著しく、小児死亡率の第一位は悪い水による下痢だった。半年の乾季と畜害のため植えた苗が根付くのは0,5%と言われていた悪条件を独自の方法で克服し、ついに20万本の緑を復活させるまでの記録」(本書帯から抜粋)
である。

30年間の歩みをふりかえり「多くの方に助けていただいた。'お助けマン'ならぬ'お助けられマン'であった」と、安倍さんはおっしゃる。あくまでも謙虚である。

私が一番感銘を受けたのは、現地のネパール人が民族の垣根を越えて自発的に植林に力をあわせるようになるまで導かれたことである。そこには私が理想に思う「喜びや苦労を分かちあおう!共に学びあおう!」という精神がつらぬかれている。

今年4月のタライ平野からジャナクプールへの道中で、渇水のため水を求めて何キロも歩く人々や、バサンタプールで伐採による禿山を見て胸を痛めていたが、植林に取り組む安倍さんたちのグループが活発に活動されていることを知り本当に嬉しく思った。これからも〔NGOカトマンズ〕の活動を見守りたいと思った。

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「黄落」佐江衆一 著
Y子さんが、「この前紹介していた〔長きこの夜〕を読む前に〔黄落〕を読んでみたけれど、あの本がベストセラーだったとは信じらんないよ?!気分悪かったわ」と、おっしゃったものだから、再読しました。

内容をほとんど忘れていて、読むうちに思い出すという感じで読み始めたのですが面白い!私は名作と思いますよ。

Y子さんは、自分の親を介護するにあたっての夫(著者)の勝手な考えと嫁になる妻への無理解とかが、、、と言ってられれたようだけれど、何がY子さんに受け入れられなかったのか今度はっきり聞いてみなくっちゃ。

介護が必要になった老人にたいして、男と女の考え方の相違、介護する立場とされる立場、夫婦間の考え方の相違、がよく書かれていて成るほどと凄く感じ入ることが多かったです。

♪?男と女の間には深くて渡れぬ河がある?♪加藤登紀子さんの歌を思い出しました。

ベストセラーのなっていい本だと思いましたよ。

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sirohata.jpg「白旗の少女」 比嘉富子 著 講談社青い鳥文庫
・ ・・・・・・・
1945年4月、太平洋戦争末期の沖縄本島の南部。この日本最大の激戦地で、逃亡の途中、兄弟たちとはぐれたわずか7歳の少女が、たった一人で戦場をさまようことになった。しかし、偶然めぐりあった身体の不自由な老夫婦の献身で、白旗を持って1人でアメリカ軍に投降し、奇跡的に一命をとりとめた。この少女の戦場での体験をおった愛と感動の記録。(表紙の説明文より。小学校上級から。)
・ ・・・・・・・・・


表紙にも載せられている「白旗の少女」の写真は、1987年(昭和62年)「白旗の少女はわたしです」という見出しで新聞にとりあげられたので、私も眼にして驚いて記事を読んだことを覚えています。

今回、沖縄に旅行をした友人から勧められて読みましたが、本当に心から感動し胸が痛くなりました。この少女は私よりほんの3?4歳年上で、私が京都で戦争のことなど全く知らされず(私は2歳だからしかたない)のんびり生活している時に、沖縄ではこんな体験をされていたのです。
それと、少女を助けたおじいさんとおばあさんのもう言葉では言い表せない大きな愛!
・・・・・・・・・・・・・
「いいかね、外に出たら、その白旗がだれからでも良く見えるように高く上げるんだ。まっすぐにだ。いいかね、高く、まっすぐにだよ」と力強くいいました。これが、私が聞いたおじいさんの最後の言葉でした。
・ ・・・・・・・・・・・・
外に出るというのは、隠れていた洞窟から出るということで、白旗は、両手両足をもぎ取られたおじいさんが身につけていたふんどしで、目がみえなくなっているおばあさんが作ってくれたのです。

読みながら涙涙です。
小学生上級からとなっていますが、日本人みんな読まねばならない本です。

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「臨死体験」(上下) 立花隆 著
著者の立花隆氏自身の臨死体験記録と早とちりしてアマゾンから取り寄せた。
実際は著者みずから臨死体験した人に会い取材して集めた臨死体験談で、その体験が科学的に証明されるかどうかを一つづつ丹念に追及した記録であった。

人は肉体と精神(霊魂)とから出来たもので、死ぬと肉体は滅びるが精神(霊魂)は永遠に滅びないということが、臨死体験した人からの証言からわかる記録と言えるかもしれない。

ただ、臨死して遭遇した体験は、あくまでもその人の体験談であり、その体験を科学的に証明するのは難しい。それを著者は、ものすごい執念で、構想、取材、執筆に5年をついやして科学的に証明しようと頑張った渾身の著作である。

臨死体験者どうしが申し合わせをしたわけでもないのに、生死を彷徨っている時に同じ体験(とても気持ちが良く風景は美しく亡くなった人が呼んでいる等)をするというのは、科学的に証明されなくても死後の世界があるのは真実ではないかと立花氏は考える。私もそう思う。

また同時に体外離脱という、体から魂が抜け出し自分の姿を見るという体験談もたくさんある。「ベッドに横たわる自分を親戚縁者が囲み嘆いているのを、天井から見下ろしている自分」という話を、私も聞いたことがある。

とにかく、人間は死ぬと終わり!土に返って終わり!と信じている人は是非読んでみてください。
又、死ぬのは怖いと思っている人も読んで下さい。死が怖くなくなります。

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「新・がん50人の勇気」 柳田邦男 著

<迫り来る死を前に人はいかに生きるか・・・
 昭和天皇から本田美奈子まで、
 がんと向き合った作家、俳優、音楽家、学者、僧侶、企業人、
 50余名の「生と死」のかたち
最期の瞬間まで生を全うした 感動のドキュメント >・・表紙より

50余名のうち特に心が打たれた方々は 武満徹、山本七平、森瑤子、重兼芳子、米原万里、馬場のぼる、山口瞳、山本夏彦達の最期だった。

この本に取り上げられた方々は全て「たとえ世界が明日終わりであっても、私はリンゴの樹を植える(マルティン・ルッター)」という言葉をそのまま受けとり、壮絶であり同時に崇高な死を堂々と迎えられたのだと感銘を受けた。

自分の育てるリンゴに生涯こだわり、愛し、誇りを持ち、さらに良いリンゴを育てることに情熱をもって生きてこられた。そしてがんに倒れ、もうリンゴを育てられない身体になったことを悟ってからも、明日も植え続けうる体力を求めて副作用の多い抗がん剤治療を拒否し、民間療法とモルヒネによる痛み緩和を求め、延命よりリンゴを植え続ける気力保持を求めたかたが多かった。

又、宗教をもたない方も多かった。死後の世界は「無」と考え、命を神にゆだねるという考えは少なかった。中には高田真快和尚や高田好胤僧侶の宗教家や死を迎える前にカトリックの受洗をされた森瑤子さんのような方もおられたが。
無宗教のかたは、宗教を「苦しみから逃れる方便」であると考え、「神に頼ることは負け」というような宗教観を持っておられるのではないかと思った。
私は、人間の生死には宗教が欠かせないものと思っているので違和感を持った。

その点では、柳田氏は、理屈や科学では解明できないより優れたものの存在をいつも重要視して、人の生死の裏に隠された無視できない真実を書き添えられている。
「不思議な意味のある偶然」を、決して疎かに出来ないエピソードを同時に綴られている。

白血病で亡くなった兄の最期を思いおこし、膵臓がんと闘っている愛する人の姿をクロスさせながら読んで、深く考えさせられた良書であった。

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tou.jpg凍 沢木耕太郎 著
世界最高峰のエヴェレストと第6位の高さを持つチョー・オユーとの間に位置するというギャチュンカン(7953m)に挑んだ世界的クライマー山野井泰史・妙子夫妻による、壮絶な登攀記録小説(ドキュメント)です。
挑戦したのがこの二人でなければ、遭難死したに違いない過酷な登攀の記録であります。

この登攀で山野井氏は凍傷で右足の指全部と手の指6本、妙子は以前のマカルー登攀で失った指に加え左足の小指と薬指以外は両手足の指全部失いました。
夫妻はそれでもクライマーとしての人生を歩み続けることになります。

その情熱はなんなんでしょう?「どうしてそんな危険を冒して山に登るのですか?」という問いに「そこに山があるからだ」と答えるのがクライマーと昔から言われていますが、本当にそう。それと「ただよじ登るのが好きだから」ということに尽きるみたい。

ここまで好きなことには頑張ることが出来る人間がいるんだと、ただただ驚き深い感動をおぼえました。それも生きるか死ぬかの冒険を夫婦でぴったり呼吸を合わせ味わい戦えるなんて夫婦愛の極限でしょう。

沢木耕太郎氏のその見事な記述たるや、読者は登攀中ずっとその二人の傍に立ち息遣いまで感じるほどのリアルさで、はらはらドキドキ、高山による呼吸困難になるほどのものでした。

これを書くのに、沢木耕太郎氏はどれだけのインタヴューを繰り返されたのでしょうか。驚嘆するばかりであります。

ギャチュンカンはチベット側にあり彼らは車でネパールからチベットに入りそこから登攀するのですが、ネパールとチベット(中国)の国境に架かる友誼橋は、去年私は行ったのですよ!
そのアプローチからして身近に感じ、数倍楽しめました。

写真は去年訪れた友誼橋のある国境。正面はギャチュンカンではないでしょうがヒマラヤです。本には写真が載ってなくて残念。せめてこの1枚が想像の手助けになればいいかと、、。

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