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「長きこの夜」 佐江衆一 著
著者が体験された父親介護の経験をもとに、男の老醜、悲哀、を、7編の短編小説に美しくまとめた本です。

第一話「風の舟」は亡き父の介護を描かれたものであとの6話は書き下ろし。

15年ほど前に、著者の両親の介護の苦しさやるせなさを描かれた「黄落」を読んだとき衝撃を受けたのですが、あのときの大変な父親を、あのあと97歳まで介護され見取られた戦いを知り胸に迫り同情してしまった。

女の老醜は、同性として分かりやすく自戒を込めて読めるけれど、今回知った男の老醜にはたじろぐばかりです。

夫もこのように老いて行くのか?私が先に死ぬとして、息子は父を著者のように介護出来るのかしら?
著者は父親に対し憎しみを感じこそすれ情愛は無くなってしまっているけれど捨てきれないという苦しさ。
・ ・・・・・・・・・
私はやさしい言葉のひとつもかけられぬどころか、憎悪が皮膚を破って突き出てくる。―中略―(ああ、早く死んでくれないか)。私の心の暗闇に棲む鬼が呻いているのだ。
・ ・・・・・・・・
と、思いながら、憐憫の気持ちと自分もいずれこのように、、と思う気持ちで修行修行と自分に言い聞かせながら介護を続けられます。

この本は介護する側からかかれてはいるけれど、介護される側の男性が老いるにつれて否応なく陥ってゆく姿を克明に正直に追っています。

人生の黄昏を、悲哀とある意味豊かさをも感じさせられた良書でした。

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バードケージ
「バードケージ」清水義範著

久々に図書館で本を借りてきました。

久しぶりに清水義範のユーモア又はミステリーのようなものが読みたくて、「バードケージ」という題と、初っ端からの事件<さえない浪人生の遥祐がぼんやり電車を待っていたところ、横にいた1人の初老の男が鉄道自殺をしようとホームから転げ落ちる。遥祐はとっさに軌道に飛び降り彼を助ける>という導入と、ネパールという章があるので借りました。

題材としてはとても面白くなる可能性は充分あると思うのですが、ここまで面白くない本とは、思いもかけませんでした。

・ ・・・・・・・・・・
命を救われた男というのは、家族のためにと思ってお金稼ぎに精を出し金持ちになるが、気がつくと妻は逃げ出し娘はそんな父を嫌って自殺をする。すっかりやる気を失って自殺を決意して列車に飛び込むが青年に救われる。
男は遥祐に命を助けてもらったお礼に、彼に1億円をあげるから3ヶ月の間に有効に使ってほしいという課題を遥祐に投げかける。遥祐はなんとオイシイ話とその話にのる。ただお金を使うには条件がある。?楽しく使うこと?他言してはいけない?3ヶ月で使い切る?自分のために使い、寄付や募金に使ってはいけない。?稼ぐために使ってはいけない?週1回話を聞かせる  というのである。
それでまず豪華マンションに下宿をし贅沢な家具を購入、身の回りのファッションに身を包む、グルメな外食、などするのだけれど、なかなかお金が減らない。その辺の苦労話が続き、ある時ひょんなことからネパールに行く機会が起こる。ネパールの貧しさに開眼した彼は、学校を建設するNGOを作るという計画を引き出す。
・ ・・・・・・・・・
という話です。
1億円をリスクなしで使えるというのが陳腐な夢物語の設定ですが、ネパールで学校を作るNGOについてや、ネパールの教育の貧しさなどは良く調べてあり真実が述べられています。そこのところは許そう。

しかしどうしてこうも面白くないのか、、、と呆れながら裏表紙をみると、NHKの「新基礎英語」に2002年4月から2004年3月まで連載されたものに加筆修正したものですと、書いてありました。NHK出版。

基礎英語の教科書に載る連載に日本語の物語が書かれるものだろうか?どこにも翻訳ということがかかれていないしなあ、、。


面白くない理由が分かったような、、、。

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「羅生門」 芥川龍之介 著
孫の夏休み宿題が[芥川龍之介の「羅生門」を読んでレポートを書く]というのに誘発されて私も読んでみました。

・・・・・・・・・・・・・
時は平安京のころ。京の町はボロボロに荒れていて、職を失った1人の下人があてもなく羅生門にやってくる。このままでは餓死するだけだ。生きるためには盗人になるしかないが、その勇気がない。雨が降り始め雨宿りのつもりで、楼閣に上ったところ、1人の老婆が死人から髪の毛を盗んでいた。何と言うあさましいことと、老婆を切り捨てようとしたところ、老婆は生きるためにはいかし仕方ないことと、命乞いする。下人はそれもそうだと納得し生きるために盗人になる勇気が起こり、老婆の着物を剥ぎ取り去ってゆく。
・ ・・・・・・・・・・・・

芥川龍之介は今昔物語集から題材をもらったと聞いていたので、「今昔物語集の世界」小峯和明著も合わせて読んでみました。平安京の庶民の生活がリアルにわかり、さらに面白く読めました。

羅生門は現存していないのですが、京都文化博物館にあるという模型の写真や、「今昔物語集の世界」に載っていた平安京の地図を見ながら読むとますます人々の生活をイメージでき楽しみました。

芥川龍之介は大正4年に書いていますが、今昔物語集が書かれた時代に、髪の毛か着物かどちらが高く売れたものでしょうか?現代では餓死しないために着物を売る髪の毛を売るという思考は通用しないでしょうね。餓死しないためではなく小遣いを得たいために着物を売り髪の毛を売るという人はいますが。

著者は着物か髪の毛かと言う問題より、生きるためには悪行をしていいものだろうか?という問題提議をしたと思われるのですが、孫が髪の毛と着物にこだわるので、私もつられてネットで調べたりしてけっこうのめり込みました。

ちなみにネットで、髪の毛を70センチ3万円で売買という記事や、2004年中国の業者が髪の毛を醤油の原料につかって衛生法に触れ摘発されたとかいう記事もあり、新しい知識を得て面白かったです。


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「猫を抱いて象と泳ぐ」 小川洋子著
久しぶりの小川洋子です。
以前から気になっていた「猫を抱いて象と泳ぐ」を読みました。

今回の小川洋子ワールドはチェスの世界。

「博士の愛した数式」では数字の不思議、数式の美しさを、少年と数学博士との友情のなかに編みこまれた絶品でしたが、今度は、チェスゲームの展開を、唇が閉じたまま生まれたというハンディをもつ少年により、大海の水面にゆったり揺らぐメロディを奏でるように棋譜の美しさが描かれ、読者はチェスの世界に引き込まれます。

その世界は紛れもなく小川洋子ワールドで、とても自然なのに現実には在りえないシュールの世界が魅惑的に広がります。
著者の描く訳ありの少年少女達は、どうしてこうも無垢で魅力があるのか!
どの著作を読んでも心が洗われます。
そこが村上春樹のえがくシュールの世界と違います。

ずっと忙しい毎日が続く中で久々に現実から離れた静寂な世界で遊ばせてもらえました。

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aria.jpg  星の国のアリア ひのまどか著
よそのお宅にお伺いしたとき書棚があると覗き見するのが好きです。
並べられた本を見ると持ち主の心の中が見えるようで興味深いのです。

先日義姉の所に行ったら本棚にひのまどかさんの音楽の本(主にクラシック音楽作曲者の自伝小説)がずらりと並んでいるので、「ああ、音楽好きの義姉だからなあ」と思いながら「ひのまどかさんが好きなの?」と訊ねてみると、「ひのまどかさんは私の従姉妹なの」という返事。中でも「星の国のアリア」が面白かったと薦められました。

義姉はコーラスの趣味一筋で生きてきた人なのでオペラの本は面白いかもしれないけれど、私はオペラはどうも苦手だし、、と思ったのですが、せっかくの義姉の薦めだからと読み始めたら面白くてぐいぐい引き込まれました。

興味のない分野の話に読者をここまで引き込ませるのは、ひのまどかさんの文筆が巧みで、時代背景が実に丁寧に分かりやすくえがかれているからではないかと思いました。また著者も芸大で音楽を学ばれ音楽の知識が豊かにあるうえ、音楽表現には欠かせない心情をも深く捉えておられるのが凄いなあと思いました。

さて、「星の国のアリア」は、1905年、リムスキー・コルサコフがロシアでの「血の日曜日事件」と呼ばれる大虐殺のあと一気に書き上げたというオペラ<金鶏>にまつわる物語です。

このオペラは絶賛されたのにかかわらず、独裁者への批判が込められているということで、上演禁止となった幻のオペラでした。

当時スターリンの独裁のもと、それに反発する芸術家は次々と弾圧され抹殺されていた時代で、多くの芸術家は外国に亡命したのですが、その中にロシアで有名だった女性オペラ歌手リーナ・ニコラーエヴナがいました。

リーナは夫と幼い息子の家族3人で日本の音大に招かれ亡命するつもりでしたが、出国直前に夫が急死し母子2人で日本に亡命するはめになり、東京音楽大学に勤めます。1933年のことでした。

やがて息子が結婚し女の子百合が産まれますが、それからリーナは、百合に将来ロシアのボリショイ劇場でオペラ金鶏のプリマ・ドンナとなる夢を密かに託し、オペラ歌手になるように教育するのです。

すくすくと美しく素直に育った百合は東京芸大に進学しオペラ歌手に成長します。

ロシアでは1985年ゴルバチョフのペストロイカ以来言論の自由が認められ幻のオペラ金鶏の復活が実現したのです。

その時ソビエトに留学し音大の大学院生だった百合はオーディションに合格し、ボリショイ劇場で開催される金鶏の復活公演で主役を歌うソプラノ歌手に抜擢されたのです。

という、サクセスストーリーと言えるかもしれませんが、私は声楽については初めて知ることが多く、驚きと感動に満たされながら読みました。

オペラ金鶏を観てみたいとつくづく思わされました。

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anraku.jpg安楽病棟 帚木蓬生著
色々な症状の老人が暮らす認知症病棟での出来事を、理想の介護を実践する新看護婦城野の生き生きとした言葉で綴られているミステリー小説。

ミステリーと言っても最後のほうまでミステリーとは分からない。

認知症患者さんの日常が、詳細に患者さんへの愛と理解で溢れる語りで話はすすむ。

30章からなり、最初の10章では10人の患者さんの生い立ちと施設に入所するようになったいきさつが紹介される。
後の20章は、施設での患者さんの起床の介護から始まり入浴や排尿誘導や当直、四季折々の行事が大変だけれど楽しく語りすすめられるが、担当医との関わりが折り込まれ、だんだん本の題名が認知症病棟でなく、何故安楽病棟となっているのかが分かってきてこの辺からミステリーめいてくる。

常に患者さんをかけがえのない人間として見ている城野看護婦と、「週末期医療研究会」に属し、患者の問題を医療として答えを出そうとしている冷ややかな香月医師。

精神科医でもある著者帚木蓬生の優しい目線を感じさせてくれ、深い問題をかかえてはいるものの、情感溢れる看護婦の言葉が自然に胸に響き、介護するって時にはなかなか楽しいのかもしれないと思わされた。

両親をすでに見送った私にとって、安楽病棟は自分の問題として考えさせられた。介護されるのは辛く苦しいと思っていたけれど、城野看護婦のような人がいるのなら喜んで入所するだろうと思った。

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おごそかな渇き  山本周五郎 著
周五郎の本は、富める者や権力者側には真の幸せがなく、貧しいもの弱い者のなかにこそ、人間の真の幸せがあるということがテーマになっていた、と思います。

若いときの私には、その周五郎の世界は、当たり前のようで新鮮味を感じられず何か刺激がなくて退屈な感じがして敬遠気味のジャンルでした。

今回偶然に手のとった「おごそかな渇きは」昭和42年に朝日新聞に連載され絶筆となった未完の小説です。

昭和17年から書かれ選ばれた10篇の短編集の最後にこの「おごそかな渇き」は載せられていますが、あきらかに他の短編とは違っています。

巻末の解説によると、彼の小説の根底には宗教が根付いて「おごそかな渇き」では、' 現代の聖書 'を描きたいというのが周五郎の抱負だったそうです。

そこには周五郎独特の古風な義理人情の話しというより、これだけは書き遺して置きたいという作者の願いのようなページが展開されます。

破壊と殺人が繰り返される戦争、宗教論争、キリスト教徒と仏教、漁業問題、親子問題、教育問題、自然破壊と世紀末、病苦、思春期の問題といった深くて重いテーマが、寒村に生きる素朴な登場人物の会話の中でさらりと軽く描かれます。ゆるぎなくしっかりと、、。見事です。

1967年に64歳で亡くなったのですが、もっと長生きをして、現代の混沌とした世の中に人間愛に溢れた論評を発信して欲しかったとつくづく思わされました。

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「沈黙博物館」小川洋子著

博物館専門技師の僕が乞われて訪ねてきたところは、昔は豪邸だったらしいよごれた邸宅であった。

雇い主は年齢不詳の二つ折れに腰の曲がった汚れた老女で、彼女が13歳から集めてきたという得体の知れない山になって積み上げられたガラクタの収蔵品を整理し、邸宅を博物館にしてほしいという要請であった。
その収蔵品は、村で亡くなった人の形見なのであるが、宝石とか金銭的値打ちのあるものではなく、亡くなった人の生き様を表す遺品であり、その形見が欲しいために老女は村人が亡くなると庭師に形見を盗みに行かせて集めたものである。

・ ・・・・・・・・・・
「私が目指しているのは、人間の存在を超越した博物館じゃ。なんの変哲もないとおもわれるゴミ箱の腐った野菜屑にさえ、奇跡的な生の痕跡を見出す、、」
・・・・・・・・・・・・

登場人物は、僕、老婆、美しい養女、家政婦、庭師、修道僧。すべて名前は書かれていない。

僕に遺された母の形見はただひとつ。「アンネの日記」

死に行く人がこの世に遺していく物はなに?彼を一番あらわしている遺品は何?
私の亡くなった両親は、私に何を遺していったのか?
私は何を遺して死ぬのかしら?

奇妙で謎めく話の中に人間の生と死を考えさせられる本でした。


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「風の歌を聴け」 村上春樹著
「私の本棚」でも紹介した、「海辺のカフカ」に感動した私は、村上春樹の処女作「風の歌を聞け」を読まなきゃいけないという気持ちになっていました。
図書館にも近くの本屋さんにもなくやっとKさんから借りることが出来ました。

この欄で度々言っているように、小説の舞台を知っている土地か否かで面白さが随分違うのですが、「風の歌を聴け」の舞台は、村上春樹が育った場所、我が家のすぐ隣の街でそれも楽しみでした。

著者の僕はアメリカの作家デレク・ハートフィールドに出会ったことから作家の道を選んだけれど、文章の書き方に苦悩しているというプロローグから本文が始まります。

時は1970年、東京の大学で生物学を学ぶ僕が、夏休みに帰省して出会った人々、出来事からなる話で、8月8日から始まり26日に終わる物語。

あらすじは取り立てて言うほどのものはないのですが、私が読んだ中では最新の「ねじまき鳥クロニクル」にまで繋がる著者の小説に対するモチベーションの要因がそこかしこに感じられ、とても興味深く面白く読みました。

例えば、鼠という名の友人、出会った小指のない女の子、ジュークボックスのあるバー、火星の底なし井戸などです。村上春樹の本には特に井戸がよく出てきます。

エピローグは再度デレク・ハートフィールドに触れ、村上春樹の小説家としての始動の意気込みを感じ取ることが出来ました。

それから30年。世界中の人々から賞賛を受ける作家となった村上春樹。

単純にすごいなあと思いました。はやく「1Q84」を読まなくっちゃ。


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「人は思い出にのみ嫉妬する」 辻仁成 著
・ ・この物語は、水と思い出を巡る、物語でもある。・・
という文章でこの話は始まります。

戸田悠仁と愛麗と栞と安東準という4人のからみあった恋愛と嫉妬のもつれが、あたかも雨が蒸発し又降って又蒸発するように、人間の愛も心の中に生まれそして消え又生まれると、、、。
結構ドロドロした関係を、水が流れるようにすっきり物語りにまとめてあります。
'カタリテの私'が物語を進めるので、舞台の劇を見ているような感じの小説です。

辻仁成さんは、売れっ子の作家だけれど、なんだかキザでこれまで敬遠していました。
彼ってフランスに居を移しているんですよね。
この1冊で決め付けちゃいけませんが、やっぱりキザかな。ちょっと苦手かな。

それを確かめるためにも、他の作品を読んでみたくなっております。

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