2011年2月アーカイブ

大聖堂」ケン・フォレット著 矢野浩三郎訳 ソフトバンク文庫(上中下)                           
ヨーロッパに行っていくつもの大聖堂を眺めたことがあります。

空に高くそびゆる塔、美しいステンドグラス。金色に輝く祭壇。そこには日本人の私には及びもつかない深い神への信仰と憧憬の息吹を感じて感銘を受けたものでした。

ところが、この「大聖堂」を読んで、なんとまあ、うわべだけを見ていたことかと己の無知を恥じました。

大聖堂の建立に欠かせない権力の闘争、建設に携わる技師達の困難とプライドに思いを馳せて再度大聖堂に身を置きたいと思いました。

時は1120年イングランド。国王ヘンリー1世が死に、世継ぎを乗せた船ホワイトシップが難破し海に沈む。それは仕組まれたものでただ1人の生存者は拷問を受け殺される。遺された懐妊していた妻エリンの呪いの言葉で物語が始まる。王位継承を巡る醜い争い。カトリック修道院の権力争いも絡む無政府時代の幕開けである。
虐殺や裏切りが渦巻く世の中、神の宿る大聖堂を夢見る純粋なフランシスコ会のフリップ修道士と建築技師のトム・ビルダーの生涯を中心に据えて広がる大スペクタルです。


分厚い文庫本三冊。粗筋は膨大で私の筆力では書けないので、朝日新聞に載ったソフトバンク社の宣伝から抜粋させていただきますと、、、
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何時かこの手で大聖堂を建てたいーー果てしない夢を抱き、放浪の旅を続ける建築職人のトム。キングスブリッジ修道院分室長との出会いにより、彼の人生は大きな転機を迎える。建築職人の愛と情熱、教会と国王の権力争いなど、12世紀のイングランドを舞台に繰り広げられる波乱万丈の物語。
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と言う本です。


ドキドキハラハラ読み応えのある書物でした。
テレビドラマ化され、今NHKハイビジョンで毎週土曜日夜10時から放映しています。
見ごたえありますが、簡略化されていて本を読んでいないと内容が理解できないのじゃないかと思いますので是非本を読んでから見て楽しんでください。


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「苦役列車」 西村賢太著 第44回芥川賞受賞作
著者は、同時に芥川賞を受賞された朝吹真知子さんと生まれ育った境遇は天と地の差があります。

朝吹さんは代々フランス文学の名門育ちで慶応大学大学院で近世歌舞伎を専攻という。
かたや西村さんは「中卒・逮捕歴あり」こそが、わが財産と言い放し苦難連続の生活を過ごしてこられたという。

自分の恥をさらけ出して書くという私小説家に徹するという西村氏。
「苦役列車」は、評者の島田雅彦さんの記述によると、<古い器を磨き、そこに悪酔いする酒を注いだような作品>ということになるがそれはちょっとわからない。
人間の卑しさと弱さを自虐的に延々と描いている。家賃を滞納しながらその日一日食べていけるだけの日雇い労働者からどうしても抜けられないダメ男の日常の話である。

昨日紹介した朝吹真理子さんの「きことわ」も、それがどうしたんというように、ストーリー性があまりなかったように、「苦役列車」も思えばそれがどうしたんという話といえる。

前者の「きことわ」の生活背景は想像できるのだけれど、後者の主人公貫多の生活は、私にはまったく接点のない生活なので「へ?え。そういう生活からどうしても抜けられない人もいるんだ」ということで終わってしまう。小説の背景となる世界を知らない人々を引き込むためには、意外な展開や想像を絶する事件が起こったりしないと小説としてどうかなと思わされた。

ちょっと面白かった発見は、自虐的でえげつないダメ男の貫太が自分のことを「ぼく」蕎麦の事を「お蕎麦」刺身のことを「お刺身」と言っているのがなんとも可愛げが感じられて、どんな投げやりな生活をつづけても彼は人を殺したりはしないのだろうなと思った。

受賞者インタビューで、朝吹真理子が「西村さんといっしょの受賞で心強いです。」とおっしゃっているのはどういうことか知りたいなと思った。

結論として今度朝吹さんの本より西村健賢太さんの本を読んでみたいと思った。

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「きことわ」  朝吹真理子著 第144回芥川賞受賞作品

「きことわ」とは一体どんな意味かと思ったら実に他愛のないものだった。主人公の二人の名前が貴子さんと永遠子(とわこ)さんということだったからだ。あ、他愛もないと言っては作者に申し訳ない。貴子さんは貴子さん、永遠子さんは永遠子さんと言う名前以外には考えられない思いが込められています。

貴子は8歳、永遠子が15歳。神奈川の葉山の別荘に夏になると東京からやってくるのが貴子。別荘番の娘が永遠子。二人は大の仲良しで海で遊び部屋で遊び絡み合いもつれ合ってはしゃぎまわるほどの仲良し。でも貴子の母親が心臓病であっけなく亡くなってから葉山におとずれることがなくなり関係は途絶え別荘は空き家になってしまった。それから25年たち貴子は別荘を売却することになり二人は25年ぶりに会う。
25年の間にそれぞれ体験するきっと苦しかったであろう出来事もさらりと交わされて何事もなかったように二人の心は寄り添う。

その二十五年ぶりに再会した二人の過去と現在を、夢と現実の境を行き来する形で描いた小説です。

現実の中に夢のようなふわふわした情景が組み込まれていて、その夢と現実のもやもやと交わる描写がこの小説の主題といえるかもしれない。そのもやもやが違和感がなくかかれている。

夢というのは寝ている時に見る夢もあるけれど、普段の生活の中で突如目前に現れる夢のような錯覚というか物陰に誰かが又は何かがす?と動いていくという感覚。それは決して奇怪なシュールリアリズムではなく不思議なことに凄く実感として共感できた。

読者にとっては「それがどうしたん?」というような頼りない物語と思う人も多いのではないかと思うんだけれど私はとても面白く読んだ。

作者の育った環境にもよるのでしょうがこの作品にはグロテスクなところが全くなく清潔で品格がある。私にも貴子と永遠子の関係のような体験があり読んでいて懐かしい気持ちにさせられた。

今回の芥川賞は朝吹さんともう1人西村賢太さんの2作品で、二人は全く異なる生い立ちで作風も違うというので、次に西村さんの「苦役列車」を読んで比べてみたいと思います。

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